明治の豪商、諸戸清六が失われゆく美を憂いて守り継ぎ、
息子の精太と二代にわたり創意工夫を凝らした
諸戸氏庭園。
良質な建材を用いた明治建築。
自然を活かした日本庭園。
和洋折衷による東西文化融合の試み。
百五十年以上にわたり日本文化を守り、
育ててきた諸戸家の感性との対話を
ぜひ、お楽しみください。
一般公開は、
春(4月下旬〜6月中旬)と
秋(11月上旬〜12月中旬)の
期間限定公開です。
本年秋の一般公開期間については、決まり次第発表させていただきます。
一般公開について
| 入園料 | |
| 大人 | 五百円 |
| 小学生以下 | 二百円(三歳以下無料) |
| 20名以上の団体は百円の割引があります。 | |
諸戸家について
諸戸家について
中興の祖、
初代・諸戸清六
諸戸清六は1846年、三重県桑名郡木曾崎の加路戸大新田の諸戸家に長男として生まれました。諸戸家はこの地で農業を営んでいましたが、清六の父・清九郎が商売に失敗し、身代を潰してしまいました。1847年、一家は住み慣れた地を離れ、米・塩・肥料の採取業をしながら各地を転々とし、やがて船馬町に落ち着くと船宿を営みました。
清六は十八歳で家督を継ぐも、この時受け継いだものといえば布団・衣類・道具と約二十石積の船一隻、そして一千両を越える莫大な借金であったといわれています。清六は桑名という地の利をいかし、米の買い付けを始めました。そして昼夜を問わぬ激烈な働きぶりで、わずか二年ですべての借金を返済しました。
財を成した後も、清六は質素な生活を貫き、決して華美に振舞いませんでしたが、公共事業への投資には力を惜しみませんでした。もともと桑名一帯の井戸水は混和物が多く、飲料水に適さなかったことから、清六は水道施設を独力で設置し(諸戸水道)、一般に開放しました。また桑名町内三十箇所以上に消火栓を設けました。このような設備は当時大都市を除いて稀なものであり、全国で七番目であったといわれています。
美意識の源流、
二代目・諸戸精太
諸戸家の歴史を彩るもう一つの柱、それは二代目・諸戸精太(写真右)をはじめとする先人たちが愛し、守り抜いてきた茶の湯に代表される深い美意識です。
茶道とは、建築の設え、道具の美術的価値、生けられた花、季節の移ろい、そして主客の所作が精緻に絡み合う日本の「総合芸術」です。諸戸の家系は代々この美意識を大切にし、「三島平茶碗」をはじめとする散逸の危機にあった国宝級の茶器や文化財を私財を投じて守り継いできました。精太にとってこれらは単に鑑賞するための美術品ではありませんでした。実際に客人を迎え、茶を点てて日常の中で用いることで、真の価値を楽しむ「用の美」を象徴するものでもありました。
初代・諸戸清六が築いた自然と社会の基盤、そして精太がその上に咲かせた文化と美意識。この二代にわたる情熱と創意工夫の結晶こそが、今も四季折々の美しさで人々を迎える諸戸氏庭園の原点となっています。
諸戸氏庭園の歴史
室町時代
織田家家臣の矢部氏の舘となる。庭園が設けられて「江の奥殿」と呼ばれました。
1686年
桑名藩御用達の大材木商・山田彦左衛門が下屋敷・隠居所として購入しました。
1884年
三重県の稀有な文化財が失われることを危惧した初代・諸戸清六が引き取りました。
2002年
財団法人・諸戸会(現:諸戸財団)が設立されました。
庭園が名勝指定、建造物は重要文化財の指定を受けました。